ブログに書くべきか書かない方が良いか迷うのはいつも親の事。
迷うくらいなら書かなければ良いというのは分かっています。読み手だって楽しい気持ちで読む訳はないのだから。
でも記録として、今の母を書き留めて起きたい気持ちもあるのです。
最初は弟にかかって来た電話。4日の夜のことだったそうです。母がいきなり「あんたに大事な事を伝えてなかった」というので「なに?」と聞いた弟。2日には母や私、そして弟夫婦、姪(弟の長女)と二月に彼女と結婚する事になっている彼とみんなで父の墓参とランチしたばかりでした。
電話口の母が言った「お父さんが亡くなったのよ」という言葉に弟は冷静だったようです。母に穏やかに話をして昨年の三月には三回忌を済ませた事も母に納得させたと言います。でもその翌朝、また同じ電話が弟にはかかってきたらしいのです。5日、まだ休み中だという弟が母のところに来てくれて、母と私と三人で昼食前の散歩をしました。柔らかな冬の日差しの中、娘と息子に守られながらの散歩に満足そうな母でした。
そして昨日、私が母の部屋に行った時のこと。ベッドに座り込んで携帯電話を握りしめているので「どこかに電話をかけるの?」ときいたら「あんたにかけようと思っていたの」と母。
「私は毎日来るのだから、電話なんてかけなくて良いのよ。用事は?」
「うん。おとうさんがね・・・」というので、弟よりせっかちな私は母の言葉を引き取って
「去年の三月に三回忌を済ませたのよね。お父さんが亡くなる時にはちょうど前夜から泊まり込んだお母さんと**さんを、家で一休みしてと帰して私が付いてた時だったわ」とひとしきり父の最期の時の思い出話。母も「そうだったわねぇ」と納得しながら思い出しているようでした。
「もうじき丸三年になるというのに、こんなに思われていてお父さんも幸せだわ」と言う私に笑っている母でした。
先日から年末年始の楽しいテレビ番組を母の為に録画してDVDに焼いて持参したのに、楽しんでいるのは同じユニットの同輩たちだけで「お母様はすぐに部屋に戻られるんです」と困ったように言い訳する介護スタッフ。そんな母に「せっかくお母さんに楽しんで貰おうと思って持ってきたのに」と嫌みを言っていた私でした。「集中力が足りないんじゃない?」とストレート球をぶつけた私。一番いけない対応でした。猛省してます。認知症が進むと集中力も欠けてきて、「楽しめる力」も弱くなって来るようなのです。寂しい事だけど、それが現実と受け入れなければ母も家族も辛い思いをするのです。
さて、今日の母はどんな顔で私を迎えてくれるのか。母がどんな様子でも、私の方は母に優しく接し続けたいと思っている新年七日目の朝です。




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路子さん、ご無沙汰しています。私の母の場合も同じです。あんなにしっかりしていた母が・・母の記憶はどんどん消えて行くけど、私の心が元気な時は、私に思い出を残してくれるんだと思うようにしているけれど、それも難しい時があります。
母は数学が得意で、微分積分も教えてくれました。そんな母が・・・やっぱり違う人になってしまったのかな・・・でも、生きていてくれる事が大事。
Operaさん、お久しぶりです。お年賀状も有り難うございました。今年もOperaさんらしさを十分発揮されるんだなぁ、と嬉しく思っています。
Operaさんのお母様は才媛でいらしたのですね。高校生の数学を教えられるって凄いと思います。
母は私と違って整理整頓がとてもきちんとしていたのに、今はタンスの引き出しに分類して衣類を片付ける事もままならず、私は毎日引き出しを開けてはパジャマを「パジャマ」というラベルのついた引き出しに・・・そしてその引き出しを開けた時に出てきたセーターを「セーター」の引き出しに、その引き出しから出てきた下着を・・・という入れ替えが日課になりました。
出来ていた事が出来なくなるのは仕方がないことなんですね。
そんな母と接していると「居てくれるだけで良い」とつくづく思います。
きっと何年か先、義母や母が居なくなった時「あの頃が良かった」と思っている私が居ると思うから、今のうちにいっぱい母たちとの時間を楽しんでおきたいと思っています。
太田さんビックリしました。ご心配ですね。高齢者の介護は百人百様で私も両親を看取りましたが、その経験は太田さんには残念ながら何の役にも立ちそうにありません。脳が老化すると一番最初に記憶力が弱って行きますが,その点では私自身も急速に老化が進行中のようです。
人によっては喜怒哀楽の感情が薄れたり,感情の表現が出来なくなったりと色々な症状が現れるようですが脳細胞の死んで行く場所によって症状が違うのでしょう。どのように老化の仕方が違うかによって接し方も違うでしょうが,太田さんのように残り少ない時間を楽しんでおくという立派なお考えには敬意を抱きます。
倉光先生、ご心配いただき有り難うございます。「老化」は病気ではない自然な事、と受け留めなければいけないのだろうと思います。
老化は仕方がないですが、同じ老いでも毎日いつも楽しそうに笑顔の方、暗い表情で無口な方、いろいろです。出来れば母にも楽しそうにしていて欲しいと思いますが、死に方を選べないのと同じように老い方も自分では選べないのかもしれませんね。私が今目指している体力信仰もこんなハマり方は老化の一種かも・・・なんて思う事もあります。体力があれば何でも楽にこなせるのは間違いないのですが。
取り越し苦労をせずに今日一日を過ごせたらそれで良いと思う、という本来の私をキープしていきたいと考えています。
こんばんは。
私の義母の認知も進んでいます。
お正月に施設から一時帰宅していたときに、義母が娘に(孫)成人のお祝いをくれました。
(お祝いは、三男夫婦が気をまわして包んでくれました)
11日に、晴れ着を見せに施設へ
「あら、お祝いをしていなかったね?ごめんね?」っと・・・
一時帰宅していた数日間も「○○ちゃんにお祝い渡したっけ?」っと何度も確認する義母だったので、忘れてしまうのは、予想がついていました。
最近は、母の認知を再確認するようなことばかりです。
施設入所で離れている分、施設に面会に行ったときには、笑顔で接しられますが、これが毎日となると、どうなるかな・・・
同じ「介護」でも在宅介護の重さは施設や病院にお世話になっているケースとでは家族への負担がまったく違いますね。
義母を在宅介護していた時は24時間気が抜けなかったですし、実母が一人暮らししていた時には行き届かない事への不安とストレスがいっぱいでした。二人が心配のない環境で暮らせている今はホントに有り難いです。
認知症は周りが認知症への理解が深めていく事しか対処法はなさそう、と思うこの頃です。
のこさんもご自身の健康を第一にお過ごし下さいね。