母からの電話はたいてい不調の時が多い。特に朝早くの電話は。
今朝は「今日はひとまずここへ泊まったの。その報告を貴女にした方が良いかと思って電話したわ。」と。
「ここ」は「そこ」でしかない事はわかりきっていながら、私もつい「ここって?」と聞き返してしまいます。「この施設に、って事よ。眠ってしまったら、いつの間にか朝になったけど、今日はどうしようか考えているの。」
夫の前であまり母と込み入った会話をしたくない、というのは私の見栄もあります。でも、嫁いだからにはこの家の人間、実家とは距離を置くのが嫁の努めというこの家の考え方を踏襲しているらしい夫の前では、私もつい実家の事はあからさまにしたくない気持ちになるのです。
それはともかく母の気持ちが空き家にしている自分の家に向くのは不調のパターン。もうかれこれ10ヶ月になるケアハウス暮らし。元気で快調な時には「一人暮らしは無理だし、食事、薬、安全、そのほか生活の全てにおいて安心なここでの暮らしが一番」ということに納得している母なのだけど。
認知症としては初期段階の母だけど、確実に下り坂をゆっくりと進んでいてけして改善する事はない母に、ふと私の行く末も重ねてしまいます。
「苦労の先取りはしない」を信条にしている私だけれど、母との年齢差はたった20歳。20年前を振り返るとつい昨日の事のようなので「あっという間に20年後」は確実な事のようにも思えるのです。
元気でフットワークの軽い「今」、20年後の私のために出来る事はと模索しながら、良いのか悪いのかは判断つかないまま、とりあえず出来る事をしています。それしかないから。
さぁ、これから母の所へ行っていつものように一緒に散歩をしてきましょう。曇り空で少し肌寒くはあるけれど、生き生きとした緑が母に少しは元気をくれそうな気もしています。




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「取り越し苦労はしない」はずの太田さん。太田さんの20年後はきっとバラ色ですよ。
倉光先生、励まし有り難うございます。苦労なんてその時に頑張るだけで十分だし、ホントに苦労しているさなかって、苦労を苦労とは感じなかったりするんですよね。母と同じような道をたどったとしても、その時に無い物ねだりしたりせず、与えられた物を喜ぶ事をしていれば、今と同じように幸せを感じていられるかも知れません。大事なのは気持ちですね、今もこれからも・・・きっと。
レスが遅くなってごめんなさい。日曜日に、いつもと違う過ごし方をしたら、すっかりくたびれてしまって、昨日はぼーっと過ごしてしまいました。